個人事業主の戯言寿秋 横尾3月26日読了時間: 3分更新日:3月26日年齢がバレるので言わないが、個人事業主になって25年、その前のサラリーマンデザイナー〇〇年!長い事この仕事を続けてきた。個人事業主になったきっかけは、サラリーマン時代にテキスタイルデザイナーをやっていて、当時アパレル業界で使用している独自の専用機があった。その専用機とはとある国内超有名アパレルメーカーが事業の一つとして、アパレル専用ソフトを独自のマシーンに乗せ開発していた。そのメーカーが毎年デザインコンペをやっていたのだ。メーカー曰く数百社のユーザーがいたらしいが(ホントかいな?)そのコンペで数年に渡り最優秀賞をいただくことが出来た。ちょっと凄そうな自慢話をしているようだがそうでもない。本来アパレルの人間はどちらかと言うと文系の人間で機械に弱い。そ言う中で私はちょっと変わり者であったにすぎない。当時はバブル経済真っ只中、会社は高価すぎるような機械を次々と導入してくれた。時代は刻々と変化しやがてアパレル専用機から、Macになった。今でもよく覚えているパワーマック8100!OSは漢字Talk6.0だったか?今のアップルでは考えられないほどにダサい名前のOSであったが、それまでのアパレルの専用機とはまるで違う革命的なものであった!確か本体80万くらいにAdobeがバンドルされていた。初めて触れるPhotoshopやIllustratorには心が踊りまくった!!ネットもない時代!教えてくれる人は無く、自力で探求するしかないだが、それが楽しすぎた!!それに専用のカラーコピー、確かCannonのPixelDioたった!それとアパレル専用ソフトの組合せで、1000万くらいの代物であえる。今思えばそんな物をよく何台も導入してくれたと思うが、会社の上層部はソフト会社からいい思いをさせてもらっていたようだ(多分)やがてバブルが弾け会社に暗雲が立ち込め始める。私も業界内ではそこそこ名が売れていたらしく、(自分が思っていただけだったかもしれないが)当時付きたいのあったデザインコンペを主催しているメーカーから専門学校の講師の話が舞い込んだ。私も若く今なら絶対に引き受けない話であるが、当時は会社の君たちと俺は違うのだよ!(ザクとは違うのだよ!的な、、)思いもあり、俺ってやはりちょっと優秀かも?という勘違いから講師のかたわら個人事業主として、アパレルの仕事を引き受ける様になった!だが実際はメーカーが専門学校に100台以上のコンピューターを導入してもらうのに教える人間がいなければ話にならん!それにうまく乗せられたにすぎないのだ!それでも初年度から年収は1.5倍(元が安すぎた)になり、バブルの弾けた直後としては良いスタートが切れた(まぁ、私が道を切り開いたわけでもなく周りに良いように利用されたにすぎないのだが!人間利用されてなんぼである)
不便も便利も考え方次第ト イレのドアノブが壊れている。 おそらく10年以上前からか、いつから壊れていたのか思い出せない程に前である。 故障箇所はラッチと言う部分でドアー側面にある三角形の凹凸する部品である。 このラッチが凹みかけた所で固定された状態になっており、ドアノブを回転しても動かない。かと...
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